ヨルシカをボカロだと勝手に錯覚して、お勧めの欄に出てきているのに、無視していたことを後悔しています。
アニソンを軽視していた時代に、今思うと、アニメのタイアップになるような曲は、海外でも通用するような曲を想定していると思います。
なぜなら、日本のアニメは世界に通用するからです。ということはその主題歌は世界に向けて書かれているのです。
今の日本はアニメと、ゲームをのぞいたら何が残る某作家がおっしゃっていたのを思い出しました。
日本に何が残るかなんて、分からなくても、文化で世界を変えることができればそれでいいなと思います。理想論過ぎますかね。
そんな素晴らしい文化の一つであるヨルシカの言っての歌詞です。
あのね、私実は気付いてるの
ほら、君がいったことあまり考えたいと思えなくて
忘れてたんだけど盲目的に盲動的に妄想的に生きて
衝動的な焦燥的な消極的なままじゃ駄目だったんだ
きっと、人生最後の日を前に思うのだろう
全部、全部言い足りなくて惜しいけどあぁ、いつか人生最後の日、君がいないことを
もっと、もっと、もっと
もっと、ちゃんと言ってあのね、空が青いのってどうやって伝えればいいんだろうね
夜の雲が高いのってどうすれば君もわかるんだろう言って
あのね、私実はわかってるの
もう君が逝ったことあのね、わからず屋って言うんだろうね 忘れたいんだけど
もっとちゃんと言ってよ
忘れないようメモにしてよ
明日十時にホームで待ち合わせとかしよう牡丹は散っても花だ
夏が去っても追慕は切だ口に出して 声に出して
君が言ってそして人生最後の日、君が見えるのなら
きっと、人生最後の日も愛をうたうのだろう
全部、全部無駄じゃなかったって言うからあぁ、いつか人生最後の日、君がいないことがまだ信じられないけど
もっと、もっと、もっと、もっと
もっと、もっと、もっと、君が
もっと、もっと、もっと、もっともっと、ちゃんと言って
私という人間は才能が何もないけれど誰かに愛される才能だけは持ち合わせているので、それを宝に生きていこうと思います。
もっと、いってほしいです。愛していると。いわれたいです。いわれたことないけれど。面と向かっては。
でも、誰かに言われているから、生きてこられたのだと思います。
そう信じるしかないです。つらい現実があったら、このブログに逃げればいい。
そう思われるように書いていますが、なかなかそこまではいきませんね。
アクセス数を気にしているうちは駄目ですかね。